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OIAS創成記~ポイント制掲示板実現へ~

仮想通貨の使えるポイント制掲示板GiAnTa BBSで任意団体から営利法人を目指す(かも知れない)OIASの創成期の記録です

私の科学観・人生観

私は小さい頃から夢想家的な所があって、特に科学技術が発達した未来について空想を広げるのが好きだった。高校生の頃も、当時の私にも分か りやすいように易しく最新の科学技術を紹介してくれるテレビ番組を良く見ていたが、その中でも、特に特命リサーチ200Xと言う番組の中で(今 から思えば大袈裟に騒がれ過ぎていた)科学技術によって不老不死が実現されるかも知れない、と言う放送は、私の人生に大きな影響を与えた。 私が大学の時、生命科学を専攻したのも、その影響が大きい。件の番組の中ではテロメアと言う染色体の端の言わば細胞分裂の回数券的な部分さ え伸ばすことができれば不老不死が達成できると主張していた。その考えは今では甘いと思うが、何らかの形で発展した科学技術によって人類 が、老化や寿命と言った現在の常識では克服は難しいと考えられている問題を、もしかしたら克服できるかも知れないと言う想いは、実は私は今 でも持ち続けている。私がホリエモンに親近感を覚えたのも、彼も不老不死実現の可能性を最初からあり得ないものとして否定してあきらめてし まうべきではないと著書などで主張していたことが理由の一つだ。
私はその他にも嫌な問題を解決してくれる素晴らしい道具としての科学技術に強い関心を持っている。死を克服するための生命科学以上に、今私 が特に興味を持っているのが、人間の代わりに何でもしてくれる、自動的に科学を研究さえもし、政治経済上の問題をも解決してくれる、究極の 人工知能の可能性だ。そして話は飛ぶようだが、このブログでもポイント制掲示板GiAnTa BBS として頻繁に取り上げている、人工知能により質 の良い学習情報をインプットするための知的生産活動を促す疑似通貨の実現にも、その延長線上に有るものとして、強い関心を持っている。道具 としての科学技術に興味があるのはもちろんのこと、科学技術についての新しい知識を得ることを純粋に楽しいと思うこともある。しかし浅く広 く色々な科学技術についての知識を得るのは楽しめる一方、1つの分野の科学技術について深く細かく正確にそして現実のものとしてありのまま に理解しようとすると退屈に感じてしまったり眠くなってしまったりする面があるのも確かだ。誰でもそうかも知れないが、私の場合特に自分が 本能的に興味を感じない分野については、退屈に感じてしまう傾向が強い。
そのため私は研究者になるのは向いていないのかも知れない。修士課程の時あまり成果が出せず、一度は研究者への道をあきらめた私だが、現在 本職の研究員ではないが大学で働かせて頂いており、ありがたくも今また仕事として研究に携わるチャンスを頂いている。せっかくのチャンスな のでそれを活かしたいと言う気持ちはもちろん強く持っているのだが、自分の手で革新的な研究を成し遂げたいと言う情熱はかつてよりは薄れて しまった感がある。困難にぶつかると、(と言っても勉強会などに出席させて頂いて内容が理解しにくいと言う程度の困難なのだが、それでも勉 強会中に眠くなってしまったりすることで、)心がくじけてしまいそうになることが多い。今与えられている研究テーマが自分のやりたいことと は必ずしも一致していないこともその一因なのかも知れない。しかし自分の直接やりたいこと以外の他人の研究についても理解して自分の意見や 気が利いた質問などをすることが期待される大学、あるいは組織での研究と言うもの自体が私に向いていないのではないかと思ったりする。
最近は、本業としての研究と言う道をあきらめることによって今より条件の良い仕事が見つかるなら、それでも良いかと思ったりする。今の私に とって自分の手で革新的な科学技術を実現することより、誰かの手によって革新的な医療や科学技術が実現され、それが自分に適用されたり、自 分にも使えたり、自分の役に立つことの方が大事なのだ。特に私が年老いた時死んでしまう前に、今の常識をくつがえす革命的な若返りと寿命延 長の医療技術が、実現されていることと、それが自分の手に届くものであることが重要だ。医療技術的には可能になったとしても、そうなると人 口問題が今よりはるかに深刻になるはずなので、それでも自分にそれが適用されるためには、相応の経済力を持っていないといけないかも知れな い。
私は死と言うものを、恐らく人並み以上に受け入れ難いものと感じている。私の宗教観について説明しようとすると、只でさえ長い私のブログエ ントリーがますます長くなってしまうので、詳しくは別の機会にしようと思うが、良いことをすれば必ず天国に行けるから良いことをしてさえい れば良いと、少なくとも単純に信じられるほど純粋な信仰心は持ち合わせていない。死と言う物が、いずれは科学的に解明されて、思ったより悪 くない物であることが分かる、と言うこともあるのかも知れないが、死と言う物が現在の常識では不可逆な物である以上、今はそれには抗い続け ると言うのが私のスタンスだ。
一方で、いつか死と言う物が抗いきれない物として私の身に訪れた時、なるべく後悔することが少ないように日々の生活を大切にすることを、上 記のような考えを持っているからこそ意識しておかなければならないとも思う。