OIAS創成記~ポイント制掲示板実現へ~

仮想通貨の使えるポイント制掲示板GiAnTa BBSで任意団体から営利法人を目指す(かも知れない)OIASの創成期の記録です

問題の本質は金融工学でもマネーゲームでもない

金融工学マネーゲームはしばしば、特に僕と似たような意見を持つ人からは良く、批判的な文脈で語られますが、僕自身は、問題の本質はそこではなく「公平だといわれている競争のルールが実は公平ではないこと」にあると考えています。

 

例えば、僕が尊敬する人物であり公益資本主義を提唱する原丈人さんは、「遺伝子工学は、もうちょっと背を伸ばしたいというような安直な理由で使われるべきでないのと同様、金融工学はもうちょっとお金を稼ぎたいというような安直な理由で使われるべきでない。金融工学は『実験室の中』に帰るべき」と主張します。
これに対して、僕は「金融工学がお金を稼ぐ手段という方向に偏って使われ過ぎているのが問題の本質で、金融について工学的に考えること自体は良いこと」と考えています。

例えば、「システム工学」という学問があり、それに沿って考えると「利子が指数関数的にお金をを増やす効果によって、格差がネズミ算的に拡大して行くことが問題だ」という考えが、ポジティブフィードバックによるシステムの発散、というごく基本的な原理で説明できます。

この「システム工学」のような最先端の科学技術で、経済のそもそもの目的である「財の適正な分配」をする仕組みを考えれば、それは人類にとって、とても有益なことだと考えられます。僕はこれを「システム経済学」と呼んでもいいかと思います。
そしてこういう説明をすれば今まで「金融工学反対派」だった方も納得していただけるんじゃないかと思ってます。この考えに基づいて僕は前にこのブログで対数関数的利子というのを提案しています。

 

ではマネーゲームはどうでしょうか?お金をゲームの対象にするのはけしからん、という意見ももちろんあると思います。
でも、現実として世の中には未来にはどうなるか分からない不確実なことがたくさんあります。それに対応するために「ゲーム理論」という学問があります。
FXはさすがにギャンブルのような関わり方をする人がいて借金が返せなくなったりするのは問題かもしれません。

しかし僕は、利子や分散投資によって持てる者が持たざる者より少ない労力でさらに多くのお金を手にすることが「確実」であることによる「格差の固定化」こそが問題だと思っていて、富める者がお金を増やす際に、失敗するかもしれないリスクがある事、そのリスクを積極的に取りに行くことはむしろ公平なのではないかと思っています。

いずれにせよ僕が思う公平な競争は「累進課税」を適切に設定した上での市場競争です。

最近流行っているらしい、トマ・ピケティ氏の著書『21世紀の資本論』では、グローバルな累進課税が必要と書かれているようですが、僕にしてみれば国際的な累進課税の包囲網の必要性はここに書いた通り何年も前に考えていたことで今更感はあります。

もちろん著書が売れるなりしてその主張が世間に広く知られてナンボという所はあるので、そういう意味では僕は(この場合は公平な)競争に負けたと言うことにはなるでしょう。

 

対数関数的利子にしろ、累進課税にしろ、世界の行く末の決定権を握っているのはそれに反対しそうな勢力ばかりなので、そこで主張を強めて受け入れてもらおうとすることより、ビジネスで成功を収めた上で発言権を持てるようにすることも僕にとっては重要です。
しかし、世間に広く受け入れられてしまっている「完全に自由な市場原理こそが公平な競争」という詭弁に疑いの目を向け「規制のない(自由な)経済的競争が、庶民の貧困からの自由を奪う側面がある」ということをわずかながらでも啓蒙することも、また意味のあることなのではないかと思い今日のブログエントリを書きました。

2014年年の瀬の選挙

今日は選挙の投票に行ってきました。

どちらかというと自民党を勝たせたくない僕としてはFacebookのタイムラインで「選挙にはちゃんと行くべき」「白票を投じても意味はないから対立候補をちゃんと選ぶべき」「自民党を圧勝させないためには自分の応援したい候補より対立候補の中で一番強い人を選ぶべき」とか色々なメッセージに注目して来ました。
そして、そうした打算やそもそも代議制民主主義自体やそれに基づく現在の政治システムを良しとしない僕としては、選挙に行くかどうか真剣に悩みました。選挙に行かない人をディスる下記のような記事もあり、

選挙に行かない男と、付き合ってはいけない5つの理由

選挙に行くかどうか真剣に悩む僕としては、逆に「投票に行かない人は面倒くさがっているだけだ」「投票をしないものは政治について語る資格がない」などとする安直な意見に反発する気持ちもありました。

白票も考えましたが、白票を推す胡散臭い連中についてこんな記事もありました。

選挙での「白票」を「社会を変える力がある」とミスリードする謎の集団「日本未来ネットワーク」のサイトが突如出現 | BUZZAP!(バザップ!)
結局、今後も政治についてメッセージを発信して行きたい一市民として、選挙に行くことで「正々堂々と政治について語れる資格」が得られるなら、少々の違和感には目をつぶって選挙に行くことは悪い選択肢ではない、と今回は判断しました。

内容は、比例区では、どちらかというとリベラル寄りな僕としては意見に賛成できない部分もありつつ、新しい勢力を応援する意味での「日本維新の会」と、小選挙区は、古臭いイメージが気になるものの政策的にはまあまあ同意できるし、僕の選挙区では自民党共産党の候補しか選択肢がなかった中で自民党よりマシと思えた共産党の候補への投票で、自分の中ではバランスを取るというものでした。

バランスを取るという考え方も、投票行動を決めるうえで本来はおかしなことなのかもしれませんが、僕にとって「どこの誰に投票するか」というのは実はどうでもよく、繰り返しになりますが後ろめたさを感じず「正々堂々と政治について語れる資格」が欲しかったのです。

話が飛ぶようですが実は東京オリンピックが決まったとき、「オリンピックムラ」というエントリーを書こうかと思ってました。内容は、あの時「みんな絶対東京オリンピック開催に賛成して開催決定に喜ぶべきで、反対するのは(震災の被災者支援ににもっと力を注ぐべきという意見をごく一部の例外として)許されない」みたいな強い同調圧力を感じて、そのムラ社会的な雰囲気というのを「オリンピック村」に掛けたものでした。

書かなかった理由としては、忙しくて流れてしまったというのもありますが、やはり同調圧力に負けてしまったんだと思います。今回の投票も、ある意味「選挙には絶対行くべき」という同調圧力に負けてしまった感はあります。だから次の選挙で僕が投票するかどうかは分かりません。

では今回はこの辺で。

「不満足消費税」の提案

このブログの今後の方針について色々考えたんですが、とりあえず定期更新を止めて不定期に気の向いたときに書くことで、むしろ更新頻度を上げられないか、という作戦を試してみます。

どうせ更新記録は途切れたんだから、それでやっぱり更新頻度が下がる様ならまた定期更新に戻せば良いと開き直りました。ええ。

さて、今回のテーマですが「不満足消費税」というのを提案してみます。

一言でいうと「商品を買った人が、その商品に満足した度合いが低いほど、売った人は高い消費税を課される」という仕組みです。

たまにホテルとかで、「泊まった人がその満足度に応じて好きな値段を付けられる」という仕組みが使われていることがあります。しかし、それだと単に自分のお金をケチるために不当に低い値段を付ける可能性があるので、それがこの仕組みが広く一般には使われていない原因ではないかと思いました。

そこで、「商品を買った人が支払う料金は変わらないけど、売った側が利益にできるお金は消費者がある程度決められる」という仕組みを思いついたわけです。商品に不満足だったら、その分多く税金を払わせることで売った側の利益に影響できる、ということです。

うまく行くかどうかはやってみないと何とも言えない所がありますが、国の制度として取り入れる前に、例えば楽天のような業者の手数料の制度として試してみるのは面白いのではないでしょうか。このアイディアはタダで差し上げますので、どなたかやってみませんか?

毎月連続更新記録中断

先月は忙しかったのと、他のところでちょっとブログの記事を書き始めたのと、色々あって毎月連続でブログを更新していた記録が途切れてしまいました。

今月も終わる直前の更新となってしまい、このまま終わってしまうのではないかと心配された方もひょっとしたらいたかも知れません。

その影響もあってか、アクセス数も伸び悩んでいる所で、心機一転、更新頻度を週一回程度にするとか新しい企画を考えてはみたんですが、本当に実行できるか自信がなくて踏み込めない感じもあり、ダラダラと今日まで来てしまいました。

むしろ私が情報を発信する場としてこのブログが最適なのかも考え直した方が良いのかも知れませんが、辞めてしまうのも惜しい気がします。

またしても私の優柔不断な所をさらけ出してしまったところで、特にオチもなく今回のエントリーは終わりにします。

つまらない更新ですみません。来月は少しは読んで楽しいことを掛けるようがんばります。

リバタリアンも納得の法人税をもっと累進課税にすべき理由

このブログに今まで書いてきたことがリベラル寄りなので、ここで単に「法人税累進課税すべき」という論を展開すると「どうせこいつはリベラル派だからとにかく何でも累進課税にすればいいと思ってるんだろう」と思われるかもしれません。
ですが今回は「所得税累進課税を止めてでも法人税累進課税強化すべき」という論を展開します。その辺がタイトルを「リバタリアンも納得の」と書いた理由ですが、私はリバタリアンではないので本当に納得するかどうかは定かではありません。
現在、法人税があまり強い累進課税にされていない理由として「会社を細かく分割すれば課税を逃れられるから」とか「利益を少なく見せて税金をごまかすインセンティブが働くから」というのがあるでしょう。でも、それこそが私が法人税こそ累進課税にすべきと考える理由です。
「会社を細かく分割する」というのは権力を一極集中させないで、分権化することにつながると思います。現在は連結決算の制度も進んできていますから、単に子会社をたくさん作って実質的には権力が持株会社に集中している場合などは、ある程度実態に即してしっかり課税することもできます。
「利益を少なく見せて税金をごまかす」行為については、累進課税でなくても問題になるわけですし、現状でも監査などを厳しく受ける大企業の方が、ある面では中小企業より税金逃れしにくい形が取れているはずなので、そのような対策を強化すればいいと思います。この方法のメリットは、法人税は売上でも会社の規模でもなく「利益」にかけられるものなので、「大企業でも利益が思うように上がっていない場合は課税を弱くできる」と言う点です。この点はリバタリアンの方にも納得して頂けるのではないでしょうか。
賛否の分かれるところでしょうが、私は「工夫する金持ちには課税を弱くしても良い」という意見を持っています。もちろんその「工夫」の内容が単に数字をごまかすなどの小手先の税金対策なら反対ですが、例えば社会のためになるような寄付だったり、新しい有用な技術の開発のための投資だったりするなら敵視する必要はないのではないかという考え方です。
「法人の内部留保に課税するべき」という政策を掲げるなどしている政党はあるようで、それはそれで反対はしません。しかし素人考えなので穴はあるかも知れませんが、もっと基本的な「法人税累進課税を強める」という政策を勧める政党があっても良いように思います。

人生におけるイノベーションのジレンマ

イノベーションのジレンマ」という言葉がありますが、人生にもイノベーションのジレンマがあるような気がします。

イノベーションのジレンマの元々の意味については、私もWikipediaの記事を見た程度ですが、僕の考えていたことと当たらずとも遠からず、といった所でした。

子供のころはそれこそ世界を変えるような発明をしたいと夢見たり、若いうちは変な責任をあまり背負っていないので色々イノベーションを起こすような行動にチャレンジしたりできますが、大人になるとだんだん背負う責任が大きくなります。それに伴って、例えば日銭を稼ぐことだったり、大学の学位を取るための論文を書くことだったりのために「小さくてもコツコツ結果を出し続ける事」を求められることが、実はイノベーションを阻むクセモノだと私は思っています。

それは「小さくてもコツコツ結果を出し続ける事」を求めることは目先の小さな結果を求めるために大局観を失わせる側面があるからです。でも一方で「小さくてもコツコツ結果を出し続ける事」は世の中で強く必要とされているもので、それが無いと社会が成り立たないからこそ、責任ある大人にそれを求める、という側面もあるのです。

かく言う私はすっかりいい年をしていながら、その割にはイノベーティブな行動がとれる状況に身を置かせて頂いていると、自分の境遇に感謝しています。しかしイノベーションの現場においても、やはり会社や研究機関であれば事務手続きであったり、IT関連のイノベーションであればプログラムの実装であったり、面倒でもコツコツ進めなければならない仕事はあふれているものです。

社長なら人を使って純粋にイノベーションに本質的な仕事だけできるかといえばそうもいかないようで、面倒な人間関係や資金繰りなどコツコツ解決すべき課題からはやはり逃げられません。

せっかくやりがいのあるイノベーションの現場に居るわけなので、毎日コツコツ進める仕事も大切にしつつ、大局観を失わないように心掛けたいと思っています。

市場独占税と特許の期限の決め方

まず、市場独占税というものを思いついたのでそれを提案してみます。もともと「シェア課税」という名前を考えていたんですが、このキーワードでGoogle検索しても私と同じことを考えている人は見つかりませんでした。「市場独占税」では2件引っかかったのでこの名前を使います。

仕組みとしては単純で、ある商品のシェアをある企業が寡占していた場合、握っているシェアの割合に応じて税を掛ける、というものです。この方法のメリットは「ここからは独占に当たる、ここからは当たらない」という二者択一の線引きをしなくてもいいこと、国に税金が入ること(これが良いことかどうかは別の議論としてありますが)などです。

課題は「その商品の市場規模が何円でその企業のシェアが何%ならいくら」と単純に決められればいいですが、多分そう簡単には行かないだろう、という所です。現状では独占に当たるかどうか公正取引委員会が決めていると思うので、同じように公正取引委員会が決めればいいかもしれませんが、それによって握る権限の大きさやかかるコストが増大するのは問題かもしれないとも思います。

これを書いていてふと思い出したんですが、特許の期限も「どの特許も一律に20年とか決めるんじゃなくて、特許一つ一つについてそれは何年間特許権を認めるに値するか審査すれば良いのでは?」と某掲示板で提案したことがありますが、その時も特許庁の握る権限の大きさやかかるコストの肥大化が問題だとコメントされました。

こういう現実の壁はありますが、それに捕らわれ過ぎず「そもそも制度はどうあるのが理想なのか」を考えるのは大事なことなんじゃないかと思います。